広島テレビ制作番組「プルトニウム元年・第3部」(1993年8月放送)~江戸川・荒川「河口ホットスポット」に囲まれた浦安市20年汚染:浦安っ子の疎開を考える(都市濃縮・低線量被ばく)

(以下、転載です)

報道部ディレクター(当時)O氏を中心に制作された「プルトニウム元年」は、原発の問題に正面から取り組んだ番組で珍しかったため、放送後は大変な反響があったという。

1993年までに3本が制作されたが、3本目を放送した後に問題が起こったという。

当時を知る関係者は、「放送終了から間もなく、電力会社の広報担当者が­番組制作者のところをたずねてきて、第3作目の原発で働く労働者の健康問題について触れた内容が一方的過ぎるということを伝えに来た」という。

その後、新番組のスポンサーを降りると通告。

スポンサー料として数千万円が支払われる予定だったため、かなりの打撃だったという。

「プルトニウム元年に問題があったのは­明らかだった(当時の関係者)」

「プルトニウム元年」は第4作目の構想もあったが作られることはなかった。

(週刊現代)

プルトニウムの利用 世論の転換点は 1993年だった‥‥

広島テレビの報道番組から初めて知る

悪魔との取引 くもの糸を登ろうとするこの社会
子孫のことなど考えていない人々

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広島テレビ「プルトニウム元年」第3部(1993年8月放送)1/5

昭和37年9月26日生まれの嶋橋伸之さんの両親が1993年8月に静岡県磐田労働基準監督署に申請した放射線労災についての記録。中部浜岡事業所で働いていた青年が1991年慢性骨随性白血病で亡くなっ た。両親が原発での仕事が原因ではないかと疑い、労災を申請した。類似のケースが沢山世間にはあるのではないかと思い申請をしたのである。会社に放射線管 理手帳の返却を求めて、死後半年たってようやく返却された。9年間の作業で一般人の限度の5倍の放射線をい浴びていた。昭和63年6月の健康診断で白血球 が13800/mm3という記録があり通常の倍以上、それでも異常なしと記載されている。診断した小野七生医師の言葉、白血球の数の異常だけではなく、質 の異常がみられたのでおかしいと考えた。両親は放射線管理手帳を慶応議塾大学(物理学教室)藤田祐幸助教授に預け分析を依頼した。

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広島テレビ「プルトニウム元年」第3部(1993年8月放送)2/5


訂正された放射線管理手帳には、入院中に放射線防護の研修を受けたことになっていた。など記録そのものが嘘の記録が含まれていた。歯茎からの出血が闘病の 最後の様子であった。2年1ヶ月の期間の末苦しみながら死亡した。ウクライナのカーチャちゃんが広島の赤十字病院で治療を受けた。チェルノブイリでの放射 能汚染による子供たちの写真が映し出されている。フォトジャーナリストの広河隆一さんのチェルノでの活動を紹介している。チェルノブイリでは、 135000人が強制移住させられた。7年目のこの放送時点で潜伏期間を経て多くの人が発病している。しかし、大半がすでに死亡している。事故後5年から 8年で甲状腺ガンが増加。ロシアの関係者は、次に乳ガン、骨髄ガンの増加するだとうと発言している。

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広島テレビ「プルトニウム元年」第3部(1993年8月放送)3/5


広島の原爆による被害の記録。 戦後広島で開業していた医師原田氏の話。被爆者のガン多発と研究を禁止した(ABCC)からの措置について語った。原爆放 射線による影響について、爆弾投下後10年目までは白血病が増加した。その後徐々に白血病は減少するが40年目まで影響は続く。次に10年目を過ぎたあた りから白血病以外のガンが増加して40年目までその影響は続く。チェルノブイリ事故調査を実施したIAEAの重松逸造広島放射線井影響研究所理事長の報告 書は、住民への健康影響はないと報告書を作成した。IAEAのこの報告に、地元科学者も猛烈に反発した。ウクライナ共和国はIAEAにこの報告書に対し て、抗議文書を送っている。地元の調査を無視してIAEAの報告書を作成しているその姿勢に対する怒りを込めて地元の医師が抗議している。重松氏の調査団 は、現地には1泊したのみ、汚染の激しい地域には一度も入っていない。そして現地の物は一切口にせず、水さえも飲まなかった。

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広島テレビ「プルトニウム元年」第3部(1993年8月放送)4/5


イギリスセラフィールドの核再処理工場の様子。大量の放射性物質を放出している工場の様子と、付近の子供たちの白血病多発。1万人以上の従業員が仕事をし ている。浜岡原発での嶋橋さんの労災を認めない、平井憲夫さんの講演会の様子と愛媛伊方原発での反対運動。平井さんの話では、原発工場内での作業で配管の 中を異物が流れて「カランカラン」と音がする。ストレーナで止まっているから良いのだが、次の点検時にその異物を取り除く。ハンマーやサシ金が出てくる。 そんなものはざらにある。それが人が作り上げたプラントの実態と話している。平井さんは福島の病院で診察を受けた後2日後に、神奈川県の病院で診察を受け たことになっていた。それは架空の病院で、原発事業所内で偽の診断書を作っていたのである。その偽の診断書を事務員に書かせる、そういった犯罪行為は日常 行われていたと告白している。藤田慶応大学助教授の話では、嶋橋さんの被曝をグラフにしていて、1987年4月から1年間で9.6ミリシーベルト、 1988年4月からの1年で9.7ミリシーベルト、1989年4月からの1年間で5ミリシーベルト。これで白血病を発症している。

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広島テレビ「プルトニウム元年」第3部(1993年8月放送)5/5


高速増殖炉もんじゅへ日立物流がプルトニウム燃料を搬入する作業風景から始まる。プルトニウム再処理についての議論の会場風景、原発反対の立場で、理化学 研究所研究員槌田敦氏が議長を務めている。推進の立場で東京大学工学部教授鈴木篤之氏が議論している。日本の技術力を世界の為に使うべきと推進者は発言し ている。危険なものには取り組むべきではないと反対意見。
1993年春、政府広報で、5500万円を使い企画記事を装って、全国新聞3紙に原発推進記事を通産省資源エネルギー庁がプルトニウム利用の広報記事を出 した。専門家の座談会に反対の声はかけらもない。推進と慎重の議論があるときに、政府が税金を使って世論を推進に導いた重要な転換点。1993年の中国電 力での株主総会。被曝地広島の電力会社として、脱原発を宣言すべきという株主提案を否決する場面。提案した木原省治さんの記者会見の様子。全国電力労働組 合連合会北條正さんの発言。原発への動揺はある。家族との会話での心配は見られるので、重要な問題としてとらえていると発言。
嶋橋伸之さんの労災は1994年7月に認められた。
9年間の総被曝線量は50.63ミリシーベルト。

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