「東京原発」(2004年放映)が伝える大事なこと:浦安っ子の甲状腺機能検査、プルトニウム検査必要(都市濃縮・低線量被ばく)

(以下、転載です)

2004年 / 日本 / 山川元

東京原発

監督:山川元
出演:役所広司, 段田安則, 平田満 他

広瀬隆著「東京に原発を」をベースにしたような設定、延々会議室での会話が繰り広げられる奇妙な密室劇に、プルトニウム輸送のトレーラージャックの話が加わり、なにやらドタバタとコミカルな展開になっていきます。

会議室での議論というかお話は、多くのことを詰め込もうとして必死な感じが良く出ていて面白いし、コミカルな演出に関してはこれは非の打ち所がないです。珍妙かつおとぼけ、これが日本映画のコメディである!と膝を打ってしまいました。

核の問題は各自勝手に調べて恐怖の事実を知ればいいと思いますがこの映画は映画として最高に面白いのです。誰がなんと言おうと、それが偶然の結果で あろうと日本映画としてかなりの珍作傑作なのは間違いなし。完成してから鑑賞できるまでに長い期間がかかってしまいましたがこのような傑作が埋もれるのは あまりにも勿体ないと思う次第でございます。

[追記]

何十年も前から想定されてきた最悪の事態がついに起こってしまいました(2011.03.16)

この映画は原発の問題をコメディとして昇華させた素晴らしい作品ですが、もはや笑い事では済まされず、この映画が後半に描いたドタバタどころではない最悪の状況に直面しています。ついに時代が想定に追いついた歴史の大きな転換点に我々はいます。

なぜ原発を容認したり推進する人間が後を絶たないのか、ずっと不思議だったんですが、今回の事故で改めて思い当たる節を認識しました。
この問題特有の興味深い点は、一般的に認知されている知識の偏り以外に、根深い思想的な部分が多くのウエイトを占めるからだということです。思想の根源は人間の想像力による半ば信仰的な部分です。

まず知識の偏りについてですが、今回の事故を「想定外だった」という類の認識不足も含めて、知識の欠損は共通の論点を見いだせず議論にならないレベ ルとなります。原発のコストが天文学的に高いことや廃棄物の処理についてさえ知らない人がいます。原発を止めれば電気がなくなる等という幼児のような低レ ベルの脅しを信じている人さえいます。このあたりは詐欺や洗脳の類の話となり、本質的な原発議論とは無関係となります。
(いやこの問題こそが原発問題の本質であるという考え方もありそうで、それはそれで説得力あります。国民の犠牲で成り立つ複合体による利権問題は突き詰めれば資本主義の議論にまで発展しそうです)

しかし、では誰がどの程度のことを知っているというのか。物理の難しいことや放射線について、原発の仕組みについて、設計や配管について、コンク リートや制御についての本当に正しい知識を持ち合わせているのか、と問われればこれは原発を嫌う人たちも含めて専門家でもないのでかなりいい加減な知識で す。いい加減な知識の上で議論しているのが実情です。その不確実性を考えれば専門家でなければ議論不能となります。専門家同士ですら意見がいろいろ分かれ ています。
原発問題では主としてこのような知識レベルについての話に終始します。大抵「知ってるのか」「知らない癖に」という子供の喧嘩になって終わります。知識は大事ですが、知識の量に差があってその差を指摘し合うだけの罵り合いには意味がなく、埒があきません。
実はこの喧嘩の根っこは原発の知識・核の知識とはベクトルの違う点にあるのです。いや、正確に言うと推進・容認派は知識レベルでの議論、反対派は別のベクトルでの議論をしています。

原発を嫌う人の根っこにあるのは100年、あるいは万年単位の地球的規模の想像力に根ざす信仰的な信条、つまり感覚とか感情とかいったレベルの思想です。
例えば燃料や廃棄物の半減期をどう見るか、その廃棄物を大量に保管したり海に投棄したりすることをどう見るか、数年から数百年必要な廃炉の管理をどう見るかです。
知識レベルではいろいろと突っ込みどころがあったりするそうですが、現実にはそれらを「原発のコスト」にすら含めないクールな姿勢が容認・推進する人間の 根っこにある考え方です。 100年後など知ったことではないのです。それはある意味正しい。だって自分は生きてないから。「そんなことを考えれば何も出来ない」というわけです。 「落ちるかもしれない飛行機を飛ばすなとでもいうのか」というわけです。一理あります。つまり、信仰心に基づく想像力がない人間にとって、そもそも核の恐 怖というものは存在しないのです。飛行機が落ちることと核燃料がダダ漏れになることは「多くの人の死」「ある規模の損失」という立脚点以外に質的な違いが ないのです。交通事故を起こす1台の車の事故と数年後に多発する子供の甲状腺癌に対して「多少の数の違い」以上の恐怖の価値を見いださないのです。
遺伝子に作用する点についてもそうです。方や遺伝子に作用する害は子々孫々に及び種としての危機感すら覚える人、方や単に癌が増えるだけでしょ他の悪い物 と何が違うのという人です。結果は同じでも想像力の違いによる恐怖心の差があるため、その先の知識を知性へと昇華させるときに方向性が大きく異なるので す。
あるいはまた想像力の発現に決定的な差をもたらします。例えば見ず知らずの他所の子に感情移入できるかどうかの違いでもあります。小馬鹿にされ犠牲を強いられる辺境の漁村に思いを巡らせるかどうかの違いでもあります。

ここが原発が好きな人と嫌いな人の決定的な思想の差です。ここが違っている限り、反対派はいくら勉強して知識レベルの議論をしても推進派を説得する ことなど絶対に出来ないのです。推進派はいくら癌など誰でもなるから放射能は怖くないと力説しても反対派を説得することは不可能なのです。議論のベクトル がそれぞれ根本的に違うのです。

「人を殺して何故いけないのか」に少し似ています。人を殺すことに根源的な恐怖心を持っている人が、人を殺すことに説明的な解答を求めている人を知識と理屈で説得することが出来ないのと同じです。

というようなことを改めて感じ入った地獄レイヤーの三層目。この時期を堺に、日本の歴史は「以前」と「以降」に別れます。どうなっていくのか予想するのも難しいですが生きている人がいる限り歴史は続きます。

[さらに追記] 2011.04.11

チェルノブイリ事故の頃に比べて脱原発の勢いが小さいのはなぜでしょう。
ひとつには、当時の反対派の主張と今現在、その内容に変化がないからかもしれません。
解決しない廃棄物処理の問題、原発コストが最も高い点、代替電力がある点、事故リスクが高い点、推進勢力の利権問題、田舎にリスクを負わせる差別的性質 等々。今はインターネットのお陰でそれぞれの情報が専門家による分析も含め十分検証できる状態にあり、しかも実際に人類史上極めて深刻な事故を実際に起こ しているにもかかわらずパニックすら起きていないし、相変わらず反原発勢力は力を持ち得ていません。方や電力・政府・広報の複合体は以前の反核運動から学 んだ新しい切り口を発見して責任から逃れる術を獲得しています。即ち「放射能なんか大したことないキャンペーン」です。これは皆が見落としていたあまりに も馬鹿馬鹿しくそして効果的なキャンペーンです。
いつの世にも、有事の際には特に多くの国民が簡単に騙されます。国民を騙すには、説得力のある小さな嘘ではなく、荒唐無稽な大嘘のほうが効果的なのです。例えば「神風が吹く」みたいなもんです。
「放射能は安全安心です」「チェルノブイリなんて大した被害はないのです」「危険だと言ってるやつはみんな嘘つきです」「煙草のほうが悪い」「パチンコの ほうが悪い」「黄砂のせいだ」「そうそう、基準値を引き上げますね」「海外のニュースはぜんぶ嘘ですよ」と、こんな案配です。

反原発が主張しているのは正しいデータに基づいた正統な内容でありますが、そうであるがために30年前と同じであり、そしてこれをねじ伏せるのは簡 単なのです。つまり無条件に全否定するわけです。そもそも放射能の恐怖が存在しなければ、核の問題なんか存在しないも同義なのです。
これに騙される馬鹿者が大量に発生するのは戦時中も今もまったく同じです。インターネットがあっても一緒です。むしろテレビに毒されている分、戦時中より現在のほうが酷いのではないかとすら思えます。
上記3月の追加文で根源的な思想の対立について書きましたけど、事実はそんな高次元な話ではなく、危惧したようにレベルの低い洗脳とペテンの次元に貶められているんです。

これは参りましたね。

The WAVE ウェイブ」という映画で、ファシズムごっこをする生徒たちがシンボルマークや専用の敬礼ポーズなんかを作り上げてはしゃぐシーンがありまして、ああいうシーンをギャグだと捉えている隙に、どんどんとより酷い状況に陥ってしまうという罠が待ち構えておりますよ。

おきをつけあそばせ。

さらに追記。2011.04.12

やっとのことでレベル7認定のニュースです。爆発から1ヶ月放置して、その間「アンゼンアンゼン」とお経を唱えて国民を騙くらかし大量被曝させたあげくの宣言です。おぞましすぎます。
もはや旧ソ連以下の非人道的対応、この状況を皆さん、ちゃんと自覚してくださいね。

ではお気をつけを。

さらにさらに追記。2011.04.17

あまりにも愕然としたのでしつこい追記をお許しください。
首相官邸サイトに、チェルノブイリ事故を超過小評価したデマ記事と言ってよい記事が掲載されてしまいました。
事ここに来て「チェルノブイリは大したことない」即ち「レベル7は問題ない」即ち「福島は安全」即ち「放射能なんかへっちゃら」「政府も電力会社も何ら問題ない」即ち「将来の病気は自己責任で原発事故とは無関係」という宣言を高らかにぶち上げたわけです。
言わば「核の恐怖はない」宣言を出したわけで、数値も胡散臭いし「問題ない」と言い切っていることに関しては明らかな嘘です。もちろん電力会社もマスコミもこれに飛びついて大本営の布教と責任逃れに終始し始めています。
テレビばかり見ている人を「マスコミに洗脳される馬鹿」と散々煽ってきたネットの住民もいよいよ洗脳仲間に落ちぶれて「アンゼンアンゼン」と大本営に合わせて大合唱を始めています。これはかなり危険です。
核の事故も恐ろしいですが、これからますます洗脳国民のファシズムに注意していく必要があります。

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